2010/11/11

宇多田ヒカル

宇多田ヒカルの最新曲、goodbye happinessがなんか切ないです。

http://www.youtube.com/watch?v=cfpX8lkaSdk

今までのPVのパロディーになってるみたいで、区切りをつけようとしたのかな、ってなんとなく感じられます。
以下ブログから転載。


久しぶりの大事なお知らせ
8.9(Mon) 20:00
「低い天井の部屋で踊ってる衝撃的なPV」(笑)と言われた「Automatic」のデビューから、早いもので12年が経ちました。当時15才でした。


最近、初めて会う人に、「まだ27だったんですね~!なんかキャリアがすごく長いイメージがあるからもう30くらいだと思ってました~。デビューした頃すごく大人びた印象だったし」と、言われます。


27才、若いっちゃあ若い・・・でももうそんなに若くない。


振り返ると、15才からずっと音楽ばっかりやってきました。「宇多田ヒカル」が音楽に専念できるように、周りから過保護に守られた生活をしてきました。人からは、年のわりには人生経験豊富だね~なんて言われるけれど、とても偏った経験しかしていません。


この仕事のおかげで普通じゃできないようなことも出来ました。ファンのみんなにも、ずっと一緒にやってきたスタッフにも、とっても感謝してます。


でも、アーティスト活動中心の生き方をし始めた15才から、成長の止まっている部分が私の中にあります。それは、人として、とても大事な部分です。


この12年間、アーティストとしては色んなことにもチャレンジしたし、少しは成長できたと思います。でもこれ以上進化するためには、音楽とは別のところで、人として、成長しなければなりません。


そういう気持ちから、一つ大きな決断をしました!




来年から、しばらくの間は派手な「アーティスト活動」を止めて、「人間活動」に専念しようと思います。




これは「引退宣言」ではありません!でも、「休養」でも「充電期間」でも無いんです。


むしろ熱心に、そして謙虚に、新しいことを勉強したり、この広い世界の知らないものごとを見て知って感じて、一個人としての本当の自分と向き合う期間になると思います。それは「アーティスト活動」とは違う、「人間活動」かな、と。


そしてそれが結果的にはアーティストとしての私の成長につながるはずです。


もちろん、その間、気ままに音楽を作ったり、歌ったりも、してると思います。


人として少しは成長できたかな、と思った時、自然とまた、音楽をみんなに聴かせたい!と思った時がきたら、そうする時です。




このままファンに姿を見せないで隠れるみたいになるのもイヤだなと思って、気持ちよく「人間活動」に突入するためにも、今年いっぱいは、ぱ~っと音楽活動したいと思います!


まず、秋に、シングルコレクションvol2をリリースします。vol1以降、けっこうシングルもたまってたからね。


今回は、新曲も入るよ!


4曲くらいになるかな。できたら5曲・・・!最近の私の気持ち、心境の変化が伝わるような、新曲たちになるように、がんばってレコーディングしてる真っ最中です。発売日が決まったらすぐ発表するからちょっと待っててね。


それ以外にも決まってることあるんだけど、おいおい発表していくよ!久しぶりに出演もするCMとかね・・・いろいろありますので!




来年からしばらくアーティスト活動をおやすみしたいっていう私の相談に応じてくれて、理解を示してくれたEMIのスタッフのみんなに、本当に感謝してます。


今まで、いつもヒヤヒヤさせたり、心配させたりして、それでもずっと私を信じて、支えてくれました。本当にありがとう。


今回のことでも、また私を信じて、待っててくれるんだと思うと、安心して「人間活動」に専念できます。


ファンのみんなが、この私の決断をどう受け止めるかは、一人一人違うと思うけれど、私を信じて、待っててください。2年になるか、5年になるか、わからないけど、一回り大きくなって帰ってくるから。少し時間をください。


まあその前に、この秋、冬、と、新曲も発表して、みんなに今の私を見てもらう場も、交流する場もあるはずだから、今日はこのこれくらいにしておきます。(期間限定でtwitterやってみようと思ってるんだよね!そしたら直接受け答えもできるし)


最後に、長いメッセージ、読んでくれてありがとう。今の私の気持ちが少しでも伝われば、いいなと願ってます。


2010年 8月9日  


宇多田光




 「終わり」を感じる。

この「終わり」な感じが切なくも、好きだ。


もう一つ、僕が大好きな中田英寿の、「終わり」のメッセージ。

nakata.netから転載。



“人生とは旅であり、旅とは人生である”
~1985年12月1日 - 2006年6月22日~

俺が「サッカー」という旅に出てからおよそ20年の月日が経った。
8歳の冬、寒空のもと山梨のとある小学校の校庭の片隅からその旅は始まった。

あの頃はボールを蹴ることに夢中になり
必死でゴールを決めることだけを目 指した。
そして、ひたすらゲームを楽しんだ。
サッカーボールは常に傍らにあった。

この旅がこんなに長くなるとは俺自身思いも寄らなかった。
山梨の県選抜から関東選抜、U-15、U-17、ユース、そしてJリーグの一員へ。
その後、自分のサッカー人生の大半を占める欧州へ渡った。

五輪代表、日本代表へも招聘され
世界中のあらゆる場所でいくつものゲームを戦った。

サッカーはどんなときも俺の心の中心にあった。
サッカーは本当に多くのものを授けてくれた。
喜び、悲しみ、友、そして試練を与えてくれた。

もちろん平穏で楽しいことだけだったわけではない。
それ故に、与えられたことすべてが俺にとって素晴らしい“経験”となり、
“糧”となり、自分を成長 させてくれた。

半年ほど前からこのドイツワールドカップを最後に
約10年間過ごしたプロサッカー界から引退しようと決めていた。

何か特別な出来事があったからではない。その理由もひとつではない。
今言えることは、プロサッカーという旅から卒業し“新たな自分”探しの旅に出たい。
そう思ったからだった。

サッカーは世界で最大のスポーツ。
それだけに、多くのファンがいて、また多くのジャーナリストがいる。
選手は多くの期待や注目を集め、そして勝利の為の責任を負う。
時には、自分には何でも出来ると錯覚するほどの賞賛を浴び
時には、自分の存在価値を全て否定させられるような批判に苛まれる。

プロになって以来、「サッカー、好きですか?」と問われても
「好きだよ」とは素直に言えない自分がいた。
責任を負って戦うことの尊さに、大きな感動を覚えながらも
子供のころに持っていたボールに対する瑞々しい感情は失われていった。

けれど、プロとして最後のゲームになった6月22日のブラジル戦の後
サッカーを愛して止まない自分が確かにいることが分かった。
自分でも予想していなかったほどに、心の底からこみ上げてきた大きな感情。

それは、傷つけないようにと胸の奥に押し込めてきたサッカーへの思い。
厚い壁を築くようにして守ってきた気持ちだった。

これまでは、周りのいろんな状況からそれを守る為
ある時はまるで感情が無いかのように無機的に、またある時には敢えて無愛想に振舞った。
しかし最後の最後、俺の心に存在した壁は崩れすべてが一気に溢れ出した。

ブラジル戦の後、最後の芝生の感触を心に刻みつつ
込み上げてきた気持ちを落ち着かせたのだが、最後にスタンドのサポーターへ
挨拶をした時、もう一度その感情が噴き上がってきた。

そして、思った。

どこの国のどんなスタジアムにもやってきて
声を嗄らし全身全霊で応援してくれたファン――。
世界各国のどのピッチにいても聞こえてきた「NAKATA」の声援――。
本当にみんながいたからこそ、10年もの長い旅を続けてこられたんだ、と…。

サッカーという旅のなかでも「日本代表」は、俺にとって特別な場所だった。

最後となるドイツでの戦いの中では、選手たち、スタッフ、そしてファンのみんなに
「俺は一体何を伝えられることが出来るのだろうか」、それだけを考えてプレーしてきた。

俺は今大会、日本代表の可能性はかなり大きいものと感じていた。
今の日本代表選手個人の技術レベルは本当に高く、その上スピードもある。
ただひとつ残念だったのは、自分たちの実力を100%出す術を知らなかったこと。
それにどうにか気づいてもらおうと俺なりに4年間やってきた。
時には励まし、時には怒鳴り、時には相手を怒らせてしまったこともあった。
だが、メンバーには最後まで上手に伝えることは出来なかった。

ワールドカップがこのような結果に終わってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
俺がこれまでサッカーを通じてみんなに何を見せられたのか、
何を感じさせられたのか、この大会の後にいろいろと考えた。
正直、俺が少しでも何かを伝えることが出来たのか…
ちょっと自信がなかった。

けれどみんなからのmailをすべて読んで
俺が伝えたかった何か、日本代表に必要だと思った何か、
それをたくさんの人が理解してくれたんだと知った。
それが分かった今、プロになってからの俺の“姿勢”は
間違っていなかったと自信を持って言える。

何も伝えられないまま代表そしてサッカーから離れる、というのは
とても辛いことだと感じていた。しかし、俺の気持ちを分かってくれている“みんな”が
きっと次の代表、Jリーグ、そして日本サッカーの将来を支えてくれると信じている。

だから今、俺は、安心して旅立つことができる。

最後にこれだけは伝えたい。

これまで抱き続けてきた“誇り”は、
これからも俺の人生の基盤になるだろうし、自信になると思う。
でもこれは、みんなからの“声”があったからこそ
守ることが出来たものだと思う。

みんなの声を胸に、誇りを失わずに生きていく。

そう思えればこそ、この先の新たな旅でどんな困難なことがあろうと
乗り越えていけると信じられる。

新しい旅はこれから始まる。

今後、プロの選手としてピッチに立つことはないけれど
サッカーをやめることは絶対にないだろう。
旅先の路地で、草むらで、小さなグラウンドで、誰かと言葉を交わす代わりに
ボールを蹴るだろう。子供の頃の瑞々しい気持ちを持って――。

これまで一緒にプレーしてきたすべての選手、関わってきてくれたすべての人々、
そして最後まで信じ応援し続けてきてくれたみんなに、心の底から一言を。

“ありがとう”
2006年07月03日




共に、二人がどんな人生を歩んで来たのかが垣間見える。

若くして生きる道を確立し、自分の信じる道を突き進んだ二人。

このメッセージを見る度二人の偉大さに鳥肌がたつ。

そしてぼくはこの「終わり」の赤裸々な感じが大好きだ。

二人の「大切にしてるもの」がなんとなくわかった気がする。



「終わり」を意識すれば、自分の大切にしてるもの、自分がしなくちゃいけないこと、がぱっと見えて来るんだと思う。

そして自ずと態度、行動が変わる。

そんな感覚を今まで経験してきたし、そんな感覚が大好きでもある。





そんな「終わり」を最近意識するようになった。

留学生活はあと2ヶ月と少し。
授業なんかはあと1ヶ月もない。

そんな「終わり」を意識した瞬間、この留学期間中自分がいかに幸せで貴重な日常生活を送ってきたのかがぱっと認識させられた。



旅行にたくさん行こうとか思ってたけど、やめた。
やっぱり、大好きな友達とご飯食べたり遊んだりしてる時間、すごく刺激的な授業を受けてる時間、がすごく幸せで貴重な時間なんだなって思うようになった。



だから、日常生活の1日1日を大事にする留学生活にしたい。


そんな風に最近思うようになりました。